21

ほとんどのハエが飛び立ち、その姿が見えなくなった後、リプリーは滝壺の近くに留まっている一匹を狙い定めた。

そのハエは片方の羽根を折っていて、飛べずにいた。

近づくと、ハエは口から管状のものを突き出した。

「こいつでフレドリックの背中から血を吸ったのか」とリプリーは思った。

リプリーは拳銃を構えた。

こんな状況で拳銃を使うなんて、昨日の自分に言っても信じなかっただろう。

しかし目の前にいるのは、ただのハエではない。

引き金を引く。轟音と共に弾丸が飛んだ。

「くそっ」

ハエは危うく弾をかわし、リプリーに向かって這い寄ってきた。

その姿は、まるで小型の熊のようだ。

後頭部から背中にかけて生えた剛毛が、異様な存在感を放っている。

再び狙いを定める。今度は外せない。

バン!

ハエの頭部に命中。

獣のような唸り声を上げながら、ハエは痙攣し始めた。

やがて動きが止まり、口から褐色の体液を流し始める。

その悪臭に、リプリーは思わず顔をしかめた。記憶が蘇る。

「たかがハエを殺すのに拳銃がいるとは…」

リプリーは呟いた。

「間違いない、あのハエだ」

全滅したと聞かされていたのに、こんなに大きくなって生き残っていたとは。

リプリーは、震える手で額の汗を拭った。

かつて、パルチノン薬害で誕生したはずの巨大昆虫。

それが、今、自分の目の前に横たわっている。

ハエの体は、異様に大きかった。

まるで、小型の哺乳類のようだった。

硬い外骨格は、太陽の光を反射し、奇妙な光沢を放っていた。

リプリーは、ハエの死骸をじっと見つめた。


その目は、まるで自分を見ているようだった。

「俺、一体何をしてるんだ……」

彼は、自問自答を繰り返す。

悪の組織を追い詰める刑事だったはずの自分が、今、巨大なハエを殺している。

「これは、現実か、それとも悪夢か……」

リプリーは、混乱していた。

ハエはやがて脚を折り曲げ、硬直した。分かりやすい死後硬直だ。

彼は今、無性に人間と話がしたかった。

「自分は病院へ行くべきなんじゃないか」と彼は思った。

…これは異常すぎる光景だ。とにかくここを一刻も早く離れなければ。

リプリー警部補の思考はさらに混乱した。

…法律でハエを取り締まることはできないのか?公衆衛生法では?カルタヘナ法のほうが妥当かもしれないが、このハエの始末は警察か自衛隊じゃなければ無理だろう。

「クソ、いくら追い詰めた事件だからといって、俺は殺人課の人間だ。俺は関わらんぞ。関わるもんか。どうせ俺は無責任な男だ、この野郎。ハエなんか知らん…」

リプリーは心の中で、形而上的な涙を流していた。

 

つづく

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